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レーシックビジネスの崩壊: ②2012年以前─レーシックビジネスの隆盛

「医師がお金儲けを考えることは不浄なことだと考える人たちも多くいると思われるが、皆さんがこれからLASIKを始めようと考えているのであれば、まず最初に学ばなければいけないことは、LASIKはビジネスだという認識である。」(坪田一男編 『LASIKの実際』(2000) 「第18章 レーシック医療のビジネス側面」, p.126)

目次

レーシック手術の経緯

最初にレーシック手術を行ったのはギリシアのIoannis Pallikaris眼科医です。1989年のことでした。アメリカでは1995年にFDA(Food and Drug Administration, 食品医薬品局)がエキシマレーザーによる屈折矯正手術を認可します。これはPRK等のフラップを作らない手術に限定されていましたが、フラップを作るレーシック手術も実施されるようになり、1998年にはレーシック手術が屈折矯正手術の主流となります。そして1999年にレーシック手術が正式に認可されて以降レーシック手術を受ける人は急速に増え、最盛期の2003年から2006年にかけては毎年130万人以上の人が米国でレーシック手術を受けます。日本ではPK手術が1983年に参宮橋アイクリニックでスタートし、エキシマレーザーを使ったPRKも1990年代に行われますが、PRK手術はそれほど広まりませんでした。しかし、2000年1月に当時の厚生省がエキシマレーザーによる屈折矯正手術を認可すると、レーシック手術が日本でも一気に広まります。その旗頭となったのが慶應義塾大学医学部眼科学教室の坪田一男です。坪田率いる「南青山」グループは1997年6月に屈折矯正手術をおこなう南青山アイクリニックを表参道に開院し、1999年から2000年にかけて横浜・大阪・福岡・名古屋・静岡に次々と南青山アイクリニックをオープンします。坪田は2000年には専門家向けの『LASIKの実際』だけでなく、一般向けにも『近視は新技術(レーシック)で20分で治る』を出版し、広告塔的役割を果たします。また、関西では京都府立医科大学の木下茂・眼科学教室教授が中心となってレーシック手術の勉強会であるリフラクティブ関西研究会が2001年に発足します。

レーシックビジネスの隆盛

レーシックは自由診療で高い収益性が見込まれたため多くの眼科病院がレーシック手術を始め、そのいくつかは全国展開します。南青山アイクリニック(1997年)、神奈川クリニック(2000年)、神戸クリニック(2003年)、品川近視クリニック(2004年)らです。これらのレーシック専門クリニックは多額の広告費を使って5千万人とも言われる日本の近視者に対して顧客獲得を図ります。その片棒を担いだのが一部芸能人です。厚生労働省の医療広告ガイドラインでは芸能人などの著名人が医療広告に出ることを禁じています。しかし、「優良誤認(他の医療機関より著しく優れているとの誤認)を与えるおそれがあり、芸能人等が受診している旨は、事実であっても、広告可能な事項ではない」にも関わらず、多くの芸能人が違反広告に出ます。品川近視クリニックでは松本伊代、小柳ルミ子、保坂尚希、堀ちえみ、渡部健らが。

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神戸神奈川アイクリニック(神戸クリニックが神奈川クリニックを吸収合併)は堀江貴文、水道橋博士、後藤輝基、東原亜希、井上康生、熊田曜子、磯山さやか、杉浦太陽、玉山鉄二など。錦糸眼科は勝間和代や松島尚美らを起用します。

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もっとも問題となったのは2012年6月からSBC新宿近視クリニック(現・新宿近視クリニック)の広告塔になった本田圭佑です。本田のマネジメントをしていたエイベックスがSBCに持ち掛けて実現したと言われますが、次回述べるようにこの広告がレーシック・ビジネスを崩壊させるきっかけになります。

「本田圭佑 sbc新宿近視」の画像検索結果

レーシック手術を受ける患者は徐々に増え、ピークの2008年には50万人近くがレーシック手術を受けます。その多くはレーシック手術が伴うリスクについては何も知らされませんでした。当時、レーシック手術のリスクについての情報は遮断されており、インターネットでレーシックについてネガティブな記事を見ることができなかったためです。

「レーシック手術数」の画像検索結果

渡邉正裕MyNewsJapan編集長 「うむ/私が受けた当時はネット検索してもレーシック失敗の情報は全く出てこなくて、情報操作されていた。たぶん周りに成功してる人が1人でもいると、洗脳されてるんだと思います。」

児斗玉文章 「レーシックに本当に副作用があるのかは知らんが、レーシックの成功例ばかりじゃなくて失敗例や副作用についても知ろうと「レーシック 失敗」「レーシック 副作用」で検索しても、失敗や副作用の心配はありません的な礼賛頁ばかりが検索上位を占めてて決定的に胡散臭い印象を持ったのは事実。」

例えば「レーシック、失敗」で検索しても、以下のようなレーシックの宣伝サイトであふれ、実際にレーシックに失敗した人のブログにたどりつくことができませんでした。

@レーシック | 視力回復 手術で失敗しないために 2005/02/02
レーシック手術で視力回復 – レーシック失敗やレーシック保険など視力矯正 … 2005/03/27
レーシック手術 – 視力回復手術で失敗? 2006/03/20
レーシック(LASIK)手術で失敗しないための7つのステップ 2006/05/07
運営概要 – レーシック手術で視力回復 – レーシック失敗やレーシック保険 … 2006/08/21
レーシック失敗?眼科医が教えてくれない本当の話 2006/09/30
失敗で不正乱視 | レーシック失敗の真相 2006/11/29
レーシック・手術のQ&A|レーシック 失敗したくない方へ。 2007/10/30
レーシックで失敗しない為に【Lasik Cube】 2007/10/11
レーシック:失敗しない病院選び|レーシック手術、不安な方へ。 2007/10/26
品川近視クリニック【 レーシック手術で失敗しないための7のステップ 】 2007/10/13
レーシック手術で失敗、失明する可能性は? – 遠視を矯正! 2008/03/15
レーシックの失敗と成功の判断基準 – レーシック失敗で泣かない! 2008/03/26
レーシックの失敗体験を教えて!! – レーシック 眼科 – 東京&大阪&名古屋の … 2009/03/03
レーシックの失敗が心配|視力回復相談室 – 視力回復.jp 2009/09/04

ヤフーの知恵袋などの質問掲示板もサクラにコントロールされ、レーシックを勧める回答ばかりになっていました。

齊藤貴義・Webエンジニア・データアナリスト 「Yahoo知恵袋・OKWave・AskDoctorsなど様々なQAサイトはサクラ投稿によって操作されている。保険診療の場合はここで偽装クチ コミ宣伝をしても割に合わないが、自由診療の場合はQ&Aサイトで1件でも患者が取れれば十分元が取れるのである。だから、Q&Aサイト のクチコミは初めから操作されていると思って見た方が良い。」(削除済み記事より http://netcraft.hatenablog.com/entry/20141206/1417871557)

またレーシッククリニックはコンタクトレンズは危険であり、レーシックは花粉症や肩こり・頭痛にも効くと誇大広告を出し、患者獲得を図ります。

「レーシック コンタクトレンズ」の画像検索結果
Image result for レーシックで花粉症が楽になる

レーシック・スキャンダル

レーシック手術後にひどい後遺症を発症する患者の数はレーシックを受ける人の数が増えるとともに増加し続けます。2004年に「レーシックを考えるページ」が開設され、ここの「レーシック質問・相談掲示板」に多くのレーシック手術被害者が投稿するようになりますが、通常のネット検索ではレーシック被害の実情を知ることはほとんど不可能でした。しかし、レーシッククリニックの医療行為の問題が2008年頃からマスコミで報道され始めます。2008年8月7日に週刊新潮が「告発された「レーシック手術」最大手クリニックの詐欺的商法」、続いて週刊文春で2009年8月6日に医療ジャーナリストの伊藤隼也が「院内感染だけではなかった レーシック手術が危ない <被害者9人の告白>」を発表します。「院内感染」とは銀座眼科の集団感染事件のことを指します。2008年9月から2009年1月にかけてレーシック手術を受けた639人のうち、67人が感染性角膜炎を起こしたこの事件は刑事裁判となり、2011年9月に東京地裁は院長の溝口朝雄眼科医に対して禁固2年の判決を下します。

銀座眼科事件は大々的に報道され、一時レーシック手術を受ける人の数が一気に減ります。これを危惧したレーシック医師らはレーシック推進グループを2009年3月に設立します。それが坪田一男が代表を務める安心レーシックネットワークです。安心レーシックネットワークは「レーシック手術前の10のチェックリスト」なるものを発表しますが、その安全基準は低すぎで、品川近視クリニック、神戸神奈川アイクリニック、SBC新宿近視クリニックなどの美容外科系クリニックもこのチェックリストを宣伝に利用するようになります。例えば、チェックリストには「執刀医は眼科専門医でしたか?」という質問項目がありますが、当時から、美容外科系レーシッククリニックの執刀医は眼科専門医ばかりでした。

レーシック被害者の動き

「レーシック難民」とはレーシック手術後に後遺症で苦しんでいる人のことを指します。なぜ「難民」かというと、後遺症を治してくれる眼科病院を探し求める姿が、定住地のない難民と似ているためです。レーシック被害者に再手術を数多くおこなった楽視眼科の吉田憲次眼科医の造語であり、2008年頃からこの用語は急速に広まります。

「吉田憲次 レーシック」の画像検索結果

レーシック難民に支援活動を行っていたのが大阪でメガネ屋を営む岡本隆博氏です。彼は2006年末に「近視手術の後遺症対策研究会」サイトを設立し、レーシックの危険性を訴えます。レーシック手術のリスクを詳細に解説した貴重なサイトであり、岡本氏はガンを発病した後もサイト更新を続けますが、ガン治療もむなしく、2015年12月に亡くなります。享年67歳でした。

当時、一部のレーシック被害者が2ちゃんねるでレーシックの実態を告発しており、まとめサイトも動き出します。2011年6月にロブ速がレーシック手術失敗リスク・体験談まとめ、ハムスター速報も同様に「レーシック手術失敗リスク・体験談まとめ」やレーシック受けてから丸二日wwwを公開します。

ハム速 「レーシック業者が真っ青になるぐらいに、ちゃんとした体験談記事が1ページ目にぐぐって出るまで、レーシックスレまとめてみようと思う。今のレーシック体験談ページって、結局業者へ最後に誘導するページばっかりだからな。」

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しかし、ハム速の記事が一ページ目に出ることはありませんでした。

「だいたいハム速で固有名詞を入れた記事って、その名詞のgoogle検索で1ページ目に出たりすることって結構普通なんだけど、レーシックだとまったく出ない。レーシック業者のSEO対策ページはマジですごい。がんじがらめに固まってる。

ガッチガチにSEOで固められたレーシックというワードでハム速が表示されないとツィートされた時ですね。現在、レーシック関係の記事を書いて約1ヶ月経過しましたが検索結果は変わらずにハム速のサイト名すら1ページに表示されない状態です。」(ハム速がレーシック業者に宣戦布告した日から1ヶ月、あれからどうなったのか調べてみた。)

ハムスター速報はその後もレーシックを取り上げますが、

周りでレーシックやった人みんな失敗してる (2012/5/12)

レーシック難民になって4年経つけどこの問題はヤバすぎる (2012/5/31)

レーシック業者から削除請求がきます。

ハム速にレーシック業者からのレーシック難民記事の削除要請か!? (2012/7/15)

レーシック被害をブログやツイッターで告白している難民の多くはどこで手術をしたかをネットで明らかにしていません。手術先のクリニックから嫌がらせを受けたり、名誉毀損や業務妨害で訴えるぞと脅されることを恐れているためです。例えば、錦糸眼科でレーシック手術を受けた人は皆、「錦糸眼科の許可なく、インターネットの掲示板、ブログ、ホームページ、書籍などのメディアを使って、①名称や②名称を連想させる表現を公表したり掲載したりしません。」という手術同意書にサインさせられます。これに違反し、錦糸眼科でレーシック被害にあったことをネットに書くと、すぐに特定され自宅に錦糸眼科顧問弁護士から警告の電話がかかってきました。

このような暗雲たる状況の中、レーシック被害者の間で二つの大きな動きがあります。一つ目は被害者団体の設立です。2012年7月にNPO法人「レーシック難民オフ会」が設立。ただし幹事の方針に同意しないレーシック難民が多く、多くのレーシック難民は2009年にmixiで設立され、レーシック難民間の情報共有を重視するレーシック難民を救う会に加入します。2013年にみんなの党の三谷英弘議員が衆議院・厚生労働省・消費者庁に対してレーシック問題を取り上げた時、彼に全面サポートをしたのは後者の「救う会」です。

二つ目はレーシック難民によるブログ活動です。レーシック難民は手術先クリニックからの嫌がらせや訴訟を恐れて、2ちゃんねるや「レーシック質問・相談掲示板」などの匿名掲示板でしかレーシックの実態を詳細に語ろうとしませんでしたが、2010年1月1日に自らのレーシック体験とその後の後遺症治療を詳細に記したくろねこの涙が開設。そして2011年には2人のレーシック被害者がブログで品川近視クリニックで手術をしたことを公表します。2012年1月28日に品川近視クリニック名古屋院でレーシック手術を受けた染井さんの嫁ができるまで淡々と更新するよと、2012年8月24日開設のバッジョのレーシック難民になってしまったのか・・・どうしようです。知性派のくろねこさん、武闘派の染井さん、マイペース型のバッジョさんというメンツがそろい、2013年にレーシック難民による巻き返しが始まります。そのきっかけを作ったのがサッカーの本田圭佑です。

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